Archive for the ‘メルマガ’ Category

知っているからと言って、それが何?

水曜日, 9月 5th, 2018

最近、倫理法人会に入会しました。

ご存知の方も多いですが、

朝6時30分からモーニングセミナーという集まりがあります。

倫理法人会 手稲

 

そこで聴いた講話から、ふんどしを締め直したお話です。

 

講話の内容は、ブログやメルマガの効用についてでした。

講話者が、起業後ブログで業績アップを体験した話です。

 

職業柄、知っている話だらけでした。

でも「知っているだけ」の部分もありました。

 

知っているの実態は、

聴いたことがあるだけだ、とも言います。

 

知っていると、やっているは別問題。

知っていると、出来るは別問題。

 

知っているのに、やっていない。

知っているのに、日課になるまでやっていない。

知っているのに、習熟するまでやっていない。

知っているのに、習慣化されるまでに至っていない。

 

そんな事だらけだなぁ・・・と

 

気持ちを入れ直した朝でした。

 

 

明後日の11月1日で私は、創業して13年目に入ります。(メールレターバックナンバー)

日曜日, 11月 1st, 2015

明後日の11月1日で私は、創業して13年目に入ります。
サラリーマン時代は、広告代理店、出版社と2社勤めました。

両方の会社で、営業No,1になりました。
そして独立。

と言うと順風満帆に聞こえますが、

独立した経緯は、そんな格好の良いものではありません(-_-;)

体を壊して、泣く泣く辞めたのです。

うつ病になったのです。
休職後、職場復帰しましたが思うようにいかず

この環境にいたら、また繰り返すと思い辞めました。
スタートは後ろ向きな動機でした。

自慢できるような

立派な起業だったわけではありません。

でも、幸いにして

独立直後に、サラリーマン時代のお客様が

そのまま大きな仕事を発注してくれたので

滑り出しは順調でした。

順調だったんです。
そう、そこまでは・・
大口が2年経って無くなってしまいました!!
そこで、これからどうして行こうか・・・・

と考えました。

独立直後から求められ、

サービスでやっていた広告のアドバイスと

フリーの広告マンの2本立てで

行くことを決心しました。
広告についての客観的なアドバイスができる人が

いないことに気付いたのです。
ニッチを探し当てた訳です。

広告代理店(大手)が面倒くさいから

手を付けていないわけです。
しかしニッチと言っても

あるようで無かった仕事です。

市場はありません(-_-;)

当然、苦戦の日々が続きます。
松下幸之助さんが部下に残した言葉

「市場は奪うものではない、創るものだ」

「人にはまだまだ開拓していない未開の原野がある」
講演で、この話を聞く度に

自然と涙がこぼれました。
それくらい今の路は正しかったのか

自信がなかったのです、数年間も・・・

しかし2009年、転機が訪れました。

創業して6年が経過していました・・・

(続く)

幼少期の心の傷と仕事の関係

木曜日, 10月 30th, 2014

中小企業の集客の悩みを社会から無くす、が
ミッションのマーケティング北海道(株)高橋洋之です。

今回は、私の身の上話?をします。

私は昨年から今年の5月まで、月に1~2回東京に通っていました。

教えずして10社以上を上場させた
福島正伸さんの講座を受けるためです。

最後は、事業計画書を作成し、
10分間のプレゼンムービーを作って発表します。

このプレゼンムービーを作るのが結構、楽な事ではなく

私の場合は、その事業が仮に上手くいかなくてもやり続ける
「あきらめない理由」が見つからなくて苦労していました。

*心の奥底にあるけれど言葉にならないのです。

自分の価値観や人生観に結びついているので、
人によっては、過去のトラウマから来ている場合もあるそうです。

「人によっては過去の辛い事だったり、逆に楽しい事かもしれない。
それが分かった時、涙と一緒に出てきますよ」

それが福島さんの答えでした。

そこで過去の記憶を出そうとするのですが、
小学校3年生より小さい頃の記憶が全然思い出せないのです・・

思い出したくない事だらけなんですね。

母親が健在なので、昔の写真アルバム見ながら聞いてみると、
幼稚園や学校に行きたくないと、しょっちゅう言っていたそうです。

プチ登校拒否児だった。
それでは記憶から封印しますよね(苦笑

でも、それより前の幼少の記憶は出て来ないし、
涙も出てきませんでした・・・

苦労しましたが、見つかりました。

私が今の仕事をなぜ選んだのか?
そしてなぜ続けているのか?

それは亡くなった父の存在でした。

私の父は、あるカメラメーカーのセールスマンでした。
私が小学生の時に会社を辞め、独立しました。

物心ついてから、親の働く姿を見て育ち、
プラスの影響を受けていました。

大晦日に納品に行ったと
日報が残っているくらい頑張って働いていました。
一時は、順調だったのですが結局は廃業してしまいました。

お客様が集まらないから、価値が無い?
お客様が集まらないから、努力が足りない?

そうではありません。

人の好さに付け込まれたのか、騙された事もありました。

独りで何をして良いか、何を勉強したら良いのかも
分らなかっただけだと思います。

そんな父の姿を見てきて、
父と同じように独りで集客に悩み疲れている人が
自然と目に留まるようになっていたのです。

会社に社員さんが何人、何十人いるかではなく
社長が一人で、集客に悩んでいる姿を笑顔にしたい。

父のように頑張っていても、歯車がかみ合っていない、
そんな状況を無くす。

これが私のあきらめない理由であり、
やり続ける理由です。

父の影響を大きく受けていた事が分りました。

でも、なぜ幼少期の記憶が無かったか?
種明かしをします。

私は小さい頃、ぜん息で身体が弱かったのですが、
よく父親から、へなちょこ~!と言われていました。

幼心に傷ついていたんですね。

それで幼いころの記憶を封印していたようです。

それに気づいてから、父親の事が好きで尊敬していた事が分りました。

好きな父と同じ想いをしている経営者の応援をするんだ、

それが続けてきた理由、あきらめない理由、やり続ける理由だと
確信する事が出来ました。

仕事には、その人の価値観が色濃く出ています。
相談業務をしていると、強く感じる機会が多いです。

過去の自分と現在、そして未来(ビジョン)がつながって
スッキリしました。